2020.5.3
復活された主は、40日の間多くの人にお姿を現された。
私も主にお目にかかりたい!コロナの影響で「聖餐式」も「愛餐会」もお休み。
ある日の朝食、ドキドキしながらひとりでパンを裂いてみた。
食卓にイエスさまが一緒に座っておられるような気がした。
「…彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。」(ルカ24:31)
パンにジャムをたっぷりつけて、至福の朝食。
イースターの午後、休校中の子供(3人きょうだい)が
久しぶりに来て一緒に礼拝した。イースターエッグに新たな疑問。
「ゆで卵やん、ひよこは生まれない…」。「そやね…」。
恐る恐る聞いてみた。「イエスさまの復活を信じる?」。
子供たちは言った。「信じる!」。
ああ父よ、あなたはゆで卵からでも新しい命を誕生させてくださるお方なのですね!
「幼な子をそのままにしておきなさい。天国はこのような者の国である」
(マタイ19:14)
2020.5.10
数年前、庭に得体のしれない植物が生えて来たが、
根を張ってなかなか抜けないのでそのまま放っておいた。
今春、目を見張るような美しいピンクの花が咲いて「南京桃」だとわかった。
毎年ぶどうを食べに来るカラスの恩返しに違いない。
これからは、彼らにぶどうを食べられても腹を立てるまいと決めた。
「空の鳥を見るがよい。天の父は彼らを養っていてくださる」(マタイ6:26)。
新型コロナウイルスの猛威が収まらない。
小さな群れの礼拝の席はいつもガラガラだ。
大きな群れは共に集って礼拝を捧げられないところがある。
イエスさまが復活された日、弟子たちは戸も鍵もみな閉めて家に籠っていた。
「三密」状態?
そこにイエスさまが入って来られた。「平安あれ」と、きっと笑顔で彼らの前に。
主は、どこにでも来て下さる。一人で籠っている人のところにも。
3か月半前、夫が召された時にいただいた山の木(名前は?)の枝を
葉が落ちてからもそのまま花瓶にさしていたら、いつの間にか芽を吹きました。
よく見ると、枝に白い小さな花が二つ!もしかしてこれはアロンの杖?
「アロンは…民のために罪のあがないをし… こうして疫病はやんだ。
…アロンの杖は芽を吹き、つぼみを出し、花が咲いて…」(民数記16:47.17:8)。
ああ、木も人も生きている!
2020.3.1
受難節を迎え、イエスさまの十字架を思い巡らして過ごします。
イスラエルの民が神に背いて荒野で過ごした40年間、自分を見つめ、
自分の罪と神さまの赦しの愛を心に刻む40日間。短いけど長いなあ〜。
せめて4日間、いや4時間、たとえ4分でも我欲を抑えて過ごしたい。
「主にあっては、一日は千年のようであり…」(Tぺテロ3:8)
2020.2.09
「あなたがたを治める王のならわしは次の通りである…」(サムエル記上8:11以下)
まさに!王と支配者のために祈ることは難しいです。
でも、主は十字架の上で祈ってくださいました。
「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、
わからすにいるのです。」(ルカ23:34)
2020.2.23
Sさんをお訪ねする時、いつも一緒に「主の祈り」を祈ります。
しんどそうな時は「父よ、とお呼びするだけにしましょう」
「今日は聞いていてくださいね」と言っても、
声を振り絞って祈られます。しかも「アーメン」は力強く。
天の父は、必ずやお祈りを聞いていてくださっていると確信します。
2020.2.16
新型コロナウイルスを最初に警告した医師の話は、デマと言われて
「黙殺」されたそうです。(これも「デマ」?)
原発事故の時も同じようなことが…。イエスさまもきっと同じ思いを…。
命をまもる真実のことばは、いつも何者かによって封印されてしまうようです
でも、「秘密にされているもので、明るみに出ないものはない」(マルコ4:22)
のですね。
週報のコラムです。日々の生活のなかで発見した「神の国」の驚きと喜びをつづっています。 (筆者は牧師と教会員です)